「施設から自宅へ」を謳い文句に国の介護施策が始まりました。
しかし昨年訪問介護事業所の利益率が高いことに基づき、
介護報酬が減額されました。
これについては当初から根拠となった数字の出処が問題視されていました。
訪問介護には施設への訪問と個人の自宅への訪問の2種類があり、
より利益率が高いのは前者で、
逆に後者はギリギリの運営を余儀なくされていたのです。
利益を圧縮する一番の要因は訪問にかかる移動の負担です。
施設であれば一カ所で複数の訪問が可能ですが、
自宅となれば移動距離と時間、そして手段が問題になります。
さらに住宅の密集度からすると都市部よりも地方はさらに大変です。
以上は介護を提供する側の事情ですが、
介護を受ける側はどうでしょうか。
国が「施設から自宅へ」と掲げるまでもなく、
誰しも老後も出来るだけ長く自宅で過ごしたいと思います。
しかし社会生活の観点からはいずれ独居になるケースが多く、
また加齢という身体的な変化の点からは
いずれ歩く、食べる、排泄することが難しくなります。
例え癌など大病を患うことがなくとも不可避な変化です。
この2つの点から明らかな結論は「ひとりで生きることは困難」だということです。
それはすなわち家族を含めた他人の助けと資金がなくては成り立ちません。
これを受療者がどう理解出来るかです。
今や自宅で過ごすことはある意味での贅沢、叶わぬ夢にもなっていると思います。
昨年の介護報酬改定は暗に「自宅から施設へ」を示唆するものと解せます。
ただこれは単に国の手のひら返しとは言えません。
ひとつは財政問題、もうひとつは人手不足が理由です。
特に後者はもう自国民には頼れない問題です。
日本の医療介護は先進国に比べて民間依存が高くなっています。
つまり経営が事業存続の前提要件です。
故に訪問介護事業所の閉鎖や倒産が増加していますし、
病院も同様です。
提供者側は静かに縮小していくわけですから、
受療者側はその流れに合わせていかざるを得ず、
それが自然淘汰としての「自宅から施設へ」になるでしょう。
ただ現場の実態としては自宅で過ごせなくなくなる人がほとんどです。
身の回りのことが出来ないくらいの衰えや心身の病気のためにひとりで生きていけなくなっています。
家族や周囲に対して「自宅で過ごしたい」と言えていても
それすら叶わない身体になっていかれます。
これが加齢であり、病気です。
加齢に対しては施設があり、病気に対しては病院があると単純化することは
あながち乱暴ではない考えです。
日本は診療報酬と介護報酬で国民の生涯を差配出来る統治国家です。
これが世界に冠たる国民皆保険の一面です。
兎にも角にも昨年から始まった財務省主導の報酬改定から
再度現場の声を拾える厚労省主導に戻して頂かなければなりません。
皆の頑張りが伝わった施策が出て欲しいと思います。
院長 小西宏明
2025-04-14 07:49:55
クリニックブログ
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